明治前期における農民の生活水準 4
ここに示された下等人民の生活が現代賃労働者の生活の起点であるということの意味を正確に把握しなければならないのです。
さて、当時の貧農層の生活はどうであったでしょうか。
それは明治8(1875)年頃の農村状況を伝える『農巡同書類』の民間之景況に明らかです。
当時は、14年から始まった松方財政下において農村は通貨の急激な収縮と米価の下落・地方税、消費税を中心とした増税と地租の重圧等により、著しく窮乏に陥っていた時期です。
・・・すなわちマイエットが著わした『日本農民の疲弊及其救治策』(明治26年)において指摘された本源的蓄積過程の基礎をなす農民からの土地収奪が猛威をふるいそれが最高に達していた時期です。
これには、各郡長から農商務大書記前田正名宛に訴えられた報告書があります。
例えば、岐阜県の厚見郡では
「貧民次第二活路ヲ失ヒ、路頭二食ヲ乞フモノヲ見ル。
……又7月1日非常ノ烈風トナリ、……人家ハ数日間浸水シ、食ヲ他方二乞ヒ、或ハ難ヲ堤上二避ケシモ帰ルニ家ナク、水後貧民彌餓鬼ノ苦境二脱落シ、ソノ惨状実二極レリト謂フヘシ。」
・・・とあり、羽栗郡長も
「多年ノ積弊ヨリ来レル四民ノ困難ハ各郡ト大同少異ナリ。」
・・・と記すようにどの報告書も人民の苦しみを訴えています。